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関ヶ原から大坂の陣へ [関ケ原の合戦大阪の陣]

家康は、関ヶ原の戦いの戦後処理を終えると、秀吉と同じ関白の地位でなく、朝廷の権威から独立できる将軍職に就き、幕府を開き、その2年後に秀忠に征夷大将軍の位を世襲させている。

それは、秀頼が元服すれば、政権は豊臣に返還されるとの豊臣方の思いを打ち砕くもので、今後の政権は徳川家により継承する事を宣言するものであった。

関ヶ原の合戦後の豊臣家は、摂津・河内・和泉の三ヶ国六十五万石の一大名に過ぎなくなっていたが、太閤の世嗣の肩書、天下の大坂城、莫大な財力を背景に、徳川に臣下の礼を取る事なく、自立していたのである。

家康も、最初は孫の千姫を秀頼に嫁がせる、高台院や加藤清正らを招いての宴の開催、秀吉の七回忌に豊国社臨時祭を主催する等の気遣いを見せている。

これは、その時点では豊臣方が徳川政権に従順で無かった事に加え、関ヶ原の戦いで功を上げた、太閤子飼いの大名・豊臣恩顧の大名の力を衰えさす事が出来なかった事を意味している。

家康は、これらの大名と豊臣家の財力を削減する策に出る。

江戸城造営には、浅野幸長、池田輝政、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、鍋島勝茂、片桐且元、島津忠恒、毛利輝元、ら30名に石材の運搬と材木の搬出を命じている。

何れも、豊臣恩顧の大名や西国の外様大名ばかりである。各大名は、石材運搬船を2年掛りで用意したり、嵐による沈没等の危険に晒されながら、石を運んだり、領内より江戸に人足を遣わせている。

各大名には、普請手伝いの費用が拝領されたが、とても、それで賄えないどころか、それ以上の負担をして、忠義の程を示さなければならなかった。

毛利輝元は、人足を相場の2倍半の人数を遣わせたり、家臣を京や堺で金策に走らせている書状を伊豆の石切り場の責任者に送っている様に、他大名以上に家康に忠節を示す事に気を遣っている。

薩摩の島津忠恒も同様で、石材運搬船を薩摩から回漕させる際、父義弘から 時節が遅れぬ様 油断を禁ずる書状を受ける等、家康に神経を使っている様子が窺える。

家康は、秀忠に将軍職を譲ったのち、駿府に隠居の形を取りながら、大御所となり力を揮ったが、この駿府城をはじめとして、大坂方に備えて次々と築城された彦根城、丹波篠山城、膳所城、伊賀上野城、姫路城、和歌山城などが、天下普請として、豊臣恩顧の西国大名に手伝い普請を命じている。そして、更に続いて家康の九男、義直の居城である名古屋城の築城である。

これには、丹波篠山城の普請を終えたばかりの池田輝政、福島正則、浅野幸長も重ねて命ぜられ、福島正則は加藤清正に不満を漏らしたと言われる。

これらは、大名に課せられる国役とされ、石高により割り当てられて動員する人夫の賃金、往復や滞在中の経費の全てを、大名が負担する形となっていた為、大名には多くの負担がのしかかった。

この天下普請は、大坂方に付く可能性のある大名の財力を削減させ、軍資金を使い果たさせるどころか、各藩の財政をも逼迫させた。

こうして、家康は、豊臣恩顧の大名の財力を削ぎながら、大坂方に備える包囲網ともいえる城を完成させていったのである。

家康は、さらに、大坂城内に莫大に残されている太閤の残した資産が、淀殿・秀頼親子の幕府に対する強気の姿勢に繋がっていると考え、故秀吉の冥福を祈る為の、豊臣家による寺社の造営や修復を奨励している。実際に、関ヶ原の戦い以後の七年の間に、実に、畿内一円の六十六件の造営が豊家により行われている。

そして、山城国東山の方広寺の大仏殿の建立も、家康が勧めている。秀頼は、家康の支持を受け資材の調達費用として、千枚吹きの分銅金十一個と二千枚吹きの分銅金十七個を送り、小判三十九万七千六百六十両の建設資金となっている。

方広寺は秀吉創建の寺院の為、施主は秀頼であったが、大工の棟梁は家康側近の中井正清と五右衛門であり、秀頼に法外の金銀を遣わそうという家康の意図が見える。

しかし、大坂の陣にて膨大な資金が使われたにも拘らず、大坂落城後に焼け出された金二万八千六十枚、銀二万四千枚と言う記録が示す様に、こちらは家康の考えが及ばない程の財力が有った為、財政を困窮させる事は出来なかったのである。

そのかわり、この大仏と共に、方広寺に鋳造されたの梵鐘の銘文と棟札が豊臣潰しの口実になった訳なので、この大仏建立は結果的に家康の目的を達したといえる。

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