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竜馬伝 と江 姫たちの戦国~ [関ケ原の合戦大阪の陣]

竜馬伝が終了して、来年は、『江 ~姫たちの戦国~』 が始まるらしい。
タイトルから察するに、お市の方の娘、浅井三姉妹の物語でろうが、
時代を超えて竜馬の時代に繋がっている。

キーワードは〝関ヶ原の戦い〟

竜馬をはじめとする討幕に動き、新しい日本を造ろうとした人たち・・を生んだ
所謂、薩・長・土・肥は、関ヶ原の戦いにて西軍について、所領を没収または減封されたり、
斬首にあった大名の領土であったところである。  ※薩摩は例外的に本領安堵
一旦は所領安堵を約束されたものの反故された、毛利をはじめとして、関ヶ原の戦いの
残した遺恨の念は、何百年もくすぶっていた訳である。

竜馬伝に出てきた、下士という人達は、関ヶ原以前に土佐の領主であった
長宗我部氏の家臣が多く、山内家の家臣である上士に虐げられていたのは、ドラマの如くである。


浅井三姉妹― 長女 茶々は秀吉の側室となり、豊臣の跡取りとなる秀頼を産む。
          次女 初は京極高次の妻となる。
          三女 江は二度の結婚・離別ののち、徳川秀忠の妻となる。

関ヶ原の戦いの時三姉妹は・・・

  茶々は、淀殿として、大阪城にて幼い秀頼の傍らにいて、豊臣の天下を脅かす徳川家康を
  西軍が滅ぼす事を願っていたはずである。
 
  江は、関ヶ原の戦い の数年前に、秀忠と結婚。
  秀忠は、信濃上田城の真田昌幸・幸村父子の抵抗に合い足止めされた事により、遅参する。

  問題は、初の嫁いだ京極高次である。

 高次は、三成挙兵後に、大谷吉継らと同行し、西軍に従っていたが、途中で居城である大津城に
 立て籠もり、西軍を大津で足止めした。高次に徳川の味方をするように助言したのは、
 お初であったと言われる。

 動向不明瞭な毛利家にあって随一の主戦派であった毛利元康や名将として知られた立花宗茂の
 一万五千の西軍を決戦の当日まで引き留めた。
 もし、この軍が 関ヶ原本戦 に間に合えば、家康は相当苦戦させられたであろう。

 更に、大阪城の秀頼の許にいた淀殿のショックは大きかったであろう。
 妹婿にあたる 高次が寝返った事の精神的ダメージに加え、関ヶ原への
 行く手が阻まれた事で、勝利への〝切り札〟である秀頼を出陣させられなくなり、西軍の総大将・
 毛利輝元も秀頼をお守りする事に徹せざるを得なくなったのである。

 輝元が秀頼を従えて出陣しておれば、秀忠率いる徳川本隊が遅参し、豊臣恩顧の大名で戦わざる
 を得なかった 東軍は、福島正則、加藤嘉明などは、西軍に槍を向ける事は出来ず、その結束は
 乱れたと思われる。

つまり、この時点で、家康軍の勝利は、グッと近づいたのである!

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